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2009-08-26

赤いフィルタを通して感じる不安

外出先のテレビに、BSが入っていた。
ちょうどJリーグが始まる。
これを見てしまうと考えていた店での夕食がダメになるため迷ったが、
浦和レッズ-サンフレッチェ広島のカードとわかり意中の店での夕食は諦めることにした。
夜遅くに探せば、どこか新しい店と出会えるかもしれない。

浦和レッズの調子が、すこぶる悪いらしい。
一方サンフレッチェ広島は、過ぎし日々のジェフ某を彷彿とさせるサッカーを展開中と聞く。
まあ、あの破壊力を常時出せるわけではないらしいが、数少ない日本サッカー界の楽しみ
ではある。

連敗街道を邁進しているという浦和レッズ。
フィンケ就任の時の加熱気味の報道とは、えらい違いだ。
大分トリニータのシャムスカと言い、結果が明確で最終的にはそれで判断されるしかない
サッカー監督とは、何と残酷な職業だろうか。

(浦和レッズが闘志を出し、連敗を止めるだろう。広島のような良いチームに伍した時、
こうした状況では勝利を収めやすい)

私の愚にもつかない予想をあざ笑うように、前半のうちに広島は二得点。
噂のダイナミックさは目立たなかったが、試合をコントロールする術を身につけチーム
としてはさらなる高みに行きつつあるか。

重いビハインドを負ったレッズは、負傷の闘莉王を後半から投入。
「怪我でセンターバックは無理だが、点を取るために投入した」

フィンケ監督のこうした内容のコメントを聞いて、ゾッとした。
そして前線に良いパスを供給する、飛び出す闘莉王の姿を、複雑な思いで見つめ
続けた。

(日本の最高クラスの選手が揃っているのに、誰も闘莉王一人に叶わないじゃないか---)
実らなかったものの、レッズの反撃の狼煙、唯一の得点を決めたのも闘莉王自身だった。

DFから攻撃のセンスも見せ、激しい気性でプレーでもハートでもチームを鼓舞する。
この姿に帰化選手の大先輩、ラモスの姿が重なる。

けれども大きく違うのは、その周りにいる日本人選手だ。
ラモスが若く激しかった時代、けれども決して一人だけ大きく目立つ存在にはならなかった。
チームには”ミスター読売”と呼ばれたジョージ与那城がいたからだ。
戸塚、都並のポテンシャルは日本人として非凡であった。それはプレーだけでなく、自己主張
も含めてだからラモスにも遠慮なく口出しできたのだが。
加藤久、小見といったベテランもまた、ラモスの暴走を顕在化させない存在だった。

やがて日本サッカーがブームの大波に乗りラモスが日本代表でもチームの中心となっても、
必ずしも絶対権力者のイメージはない。カズ、三浦知良といった選手のプレーやプロ意識は、
それと同等以上に輝いていたからだ。

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浦和レッズサポーターの皆さんがいま気を揉むのはチームの成績だろう。
けれども私にしてみれば、日本最大のスターたちがたった一人の選手がいるだけで
”主役とその他大勢”となる光景を目にして、そこに恐怖や不安を感じずにはいられない。

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theme : Jリーグ
genre : スポーツ

2009-08-17

それもまた、サッカーから

チームにAという外国人選手が入ってくることになった。
パス出しに優れ、得点力もある某強豪国の代表選手である。
そのチームでは中村俊輔が、絶対的なエースとして君臨していたが、
Aが入ってくるということでその立場が微妙になった-----。

このような話がサッカーにおいて日常茶飯事なのは、言うまでもない。
中村俊輔という個人はここではあまり重要ではなく、Jリーグの各チーム
でも(一夜にして、立場が揺らぐ)は珍しいことではないだろう。

先日読んだ船越優蔵の記事。
「レギュラー落ちしている間も腐らずに練習を続けていた」。
再び起用されたのは、その姿勢だったという。

人は誰しも歳をとる。
「○○さん、あの歳でよく動くよな~」
ン十歳のアマチュアミュージシャンの草サッカーでの動きを見てチームメイト
は舌を巻いていたが、私は生意気にも(まあ、自分はあの歳になっても
何とか動けるだろう)。
上手い下手は、ご愛嬌・・・・・。

ところがどうだ。
動くどころか、ボールを蹴る機会もほとんど無くなってしまった。
貧乏暇なし。空地のない都会。
年齢に加えて、逆風も激しい。

「高校を卒業したら、おまえたちの中にはもうボールを蹴ることもない奴も
大勢いるだろう」
部活の最後の方で監督からそう言われたのを、今でも覚えている。
私は幸いなことにそれきりとはならなかったが、いつかはほぼ完全にボール
を追いかけるイメージと体が、重ならなくなる。

”中村俊輔はポジションを守れるのか”
”俊輔、三試合連続スタメン落ち”
”ライバル、全得点に絡む活躍”
その時、中村俊輔はどんな態度を見せるのか?
戦術論も面白いが、人生を重ねその姿に今必要な生き方を学ぶ。
それもまた、サッカーだ。

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神の苦悩-ジーコといた15年

theme : サッカー
genre : スポーツ

2009-08-12

ジェフ時代の江尻の印象

本当はジェフの試合を見て書くべきだが、現在時間がなく未だ見れていない。

ミラーOUT→江尻IN

この噂を聞き、監督交代を機に見るのを再開しようとも考えたが、私の暇と
サッカー界は(当たり前だが)連動しないものだ。
まあ、(どうしても見たい!)と思わせる魅力がないから、という思いもあるのだが・・・。

さて、今に興味がなければ過去を懐かしむのは私の癖で、むしろ
もうひとつの”サッカー思い出ブログ”の更新ペースの方が
上回り始めた(といってもたいした数ではないが)。
そこに江尻について少し書いたが、ジェフの
江尻にというのは(サポーターには怒られそうだが)あまり印象にない。
「そうえば、ジェフだったか。あの黄色いユニフォームを着ていたかな」
とおぼろげな記憶が残るばかりだ。

なにしろ

古河電工⇒ジェフユナイテッド市原

と名前を変えられた時、あの独自の水色ストライプが妙に明るい黄色いありふれた(失礼)
ユニフォームに代わり、いっきにその伝統が消えてしまったように思えたからだ。
古河電工は私のような読売ヤンチャ軍団大好き(アッ、言っちゃったね)にとっては憎き
日本リーグ丸の内御三家の伝統派閥だったけれど、日本人だけで高いチーム力を
築き、伝統が良い意味で花開いたチームだった。
そういえば古河の代表的な選手に永井良和というウィンガーがいたが、もう一方の
ブログでも書いたようにウィングというポジションが死滅してしまっていた時代、黄色
のユニフォームをまとった江尻は”Jリーグブームの中入団した一人の良い選手”
であって、高校時代ほど鮮烈な印象はやはり残してくれてはいない。
それもあって
清水=江尻
となっても
ジェフ=江尻?
とはなりにくい。
ただしジェフサポーターは初めから江尻のコーチ就任などに好意的だったようだから、
地域密着の中でしっかりと愛された選手であり、それにいろんな思いが加わって
監督就任に期待、となったのだろう。
さて、いい加減な観戦者の私も、何とか時間を割いて見るのを再開したいと思います。

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サッカーの記憶―語り継がれる伝説

theme : Jリーグ
genre : スポーツ

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