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2011-08-15

歴代最強のチーム

キリンチャレンジカップ2011
日本代表-韓国代表


個人的に最強と考えていた日本代表は、AFCアジアカップ2000 レバノン大会
のチームだった。予選リーグのサウジアラビア戦の4対1を皮切りに、日本
はアジアの代表チームを粉砕していく。その様はまさに、次元の違うチーム。
アジアカップでなく、EUROの出場枠を与えてもらいたいと熱望するほどだった。

けれどもこのチームは、トルシェという型にはめられたサッカーだった。
選手たちはフランス人監督のスタイルを壊さないよう配慮しながら、闘った。
名波は窮屈な中でコンタクトを振るい、中村俊輔は懸命に汗をかいた。
この画一的で日本の選手の能力と勤勉さによって支えられたサッカーが
ずっと続くのかと言うと、やっている選手たちも見ているファンにも
不安はあっただろう。

現在の日本代表は、レバノン大会の代表チームを追い越し最強のチーム。
勝率はもちろんだが、サッカーの中身が良い。小刻みにパスを回し、
見る者の興奮を呼ぶ。
ゴール前での落ち着き、強さ、判断の正確さがあるから、点もとれる。
これが過去の(日本は上手いけど・・・)というチームとの、大きな差だ。

いくら相手が韓国とはいえ、親善試合の結果で持ち上げ過ぎだろうという
意見もあるかもしれないが、このチームは先のアジアカップ2011(カタール)
でも最高の結果を出している。韓国相手に序盤からきれいにパスを回し
チャンスをつくった日本代表だが、このチームにはどんな相手に対しても
良いサッカーをできる自信と実力が漲っている。

長年”日本のスタイルをつくらなければ”と言われ、手を変え品を変え
(つまり監督を変え)てきた日本代表だが、どうやら選手たち自身が
その答えを持っていたようだ。
メディアや御用解説者は変わらず「ザックジャパンが・・・」と監督
を上位に置いた伝え方をするだろうが、ピッチの中では選手が既に
答えを出し、素晴らしいサッカーを披露している。
サッカーは、選手ありきのスポーツ。
それを具現化させている今の日本代表に、不満は無い。



ザックジャパン 「頭脳的サッカー」で強豪は倒せる

ザックJAPAN 3つの選択
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theme : サッカー日本代表
genre : スポーツ

2011-08-07

松田直樹の死を悼む

このブログにも何度か書いたかもしれなが、松田直樹は
お気に入りの選手だった。
最初に印象に残ったのは、1995年のFIFAワールドユース選手権。
(最終戦後にブラジルの選手は凄かったか? と質問され)
「毎日練習でラモン・ディアスのマークをしている。
そっちの方が全然凄い」
ベスト8という結果以上に、高校を卒業したばかりでそうした
コメントを出す選手が現れた事とプロ化した日本サッカーの
環境の変化に、喜びを感じた。

その後の松田はオリンピック代表、日本代表と順調に進んでいく。
そんな中でしだいに、松田の気性の激しさも伝わってくるように
なった。
試合の最中にキレかかる事も何度かあったが、ゲームが破綻する
事はほとんど無かったはずだ。
むしろジーコ時代のアジアカップ時にさっさと無断帰国してしまった
ように、一筋縄ではいかない選手という印象は、ピッチ外の出来事で
残っている気がする。
けれども均一化した選手が多くなってしまった日本で、松田の
こうした振る舞いはむしろ好感が持てた。
選手本人が決められる事ではないので仕方がないが、せめて
ドイツ大会まではワールドカップに出場して欲しかった、
という思いは強い。親善試合だったと思うが宮本恒靖が出場
できなかった時にスタメンに名を連ねた松田は、素晴らしい
プレーを見せていた。同じチームの中澤とのコンビネーションにも
問題は無く十分に戦力に足る選手だったが、最終的にジーコは
松田を選らばなかった。

サッカー選手の松田に不満が無かった訳ではない。
横浜マリノスに入って早々にレギュラーを獲得。ワールドユース
で自信に満ちたコメントを出したこの”速くて強くて高い”優秀な
センターバックには、(日本のDFは海外のリーグでは通用しない)
といった固定観念を打ち破ってくれるのではないか? と期待を
持っていた。けれども松田は日本はもとより、マリノスからも
離れようとはしなかった。
また浦和レッズのFWエメルソンに対して「あいつは止められない」
といった発言をしたのも記憶している。勝気な性格に時折垣間見える
こうした部分が、少しだけ不満にも映っていた。

残念な事に30歳を超えると”ベテラン”というレッテルを貼る事が
慣例化しているJリーグ。横浜マリノスもそれに倣って、昨年松田を
放出した。
(昨シーズンの終盤、たまたま見たマリノスの試合で松田は相変わらず
良いプレーを見せていて、純粋に”サッカー選手”としての価値だけ
考えれば、とても契約を解除される選手には思えなかった)

わたしは先に書いたように松田の力に大きな衰えを感じなかったから、
(他のJ1のチームから声がかかるだろう)と考えていたが、現実は甘く
なかった。
ただ松田の選択がJ2でも引退でもなく、JFLの松本山雅FCだと聞いた時は、
少なからず驚かされた。余談だが(クラブの熱意を感じて決めた)という
松田の決断は、少なからず同時期にある決断をしなければならなかった
わたしにも影響を与えた。
けれども今年の松田直樹自身のプレーは、一度も目にする事は無かった。
ちょうど2011年度の日本サッカー開幕時期に起こった東日本大震災によって、
わたし自身のサッカー熱が上がりきらず、Jリーグさえも未だ今年は
一試合も見ていない状態なのだ。

話が少し横道に逸れた。
例えいつもと同じ春を迎えていたとしても、JFLの松本山雅FCの
試合を見る事は、よほどの偶然がない限り無かっただろう。
(1年か2年でJ2に上がってくれる。その時はまた、松田のプレー
を見よう)
JFLの勢力図をまるで知らないだけに、根拠の無い期待だった。
松田の訃報を聞いて今回初めて、松本山雅FCのWebサイトを見た。
もちろん集合写真やメンバー紹介の欄には、松田直樹の姿があった。
そこで、驚いた。写真にうつった松田の姿は、実に若々しいもの
だったからだ。亡くなったという現実とはあまりにも不釣り合いな
笑顔が、そこにはあった。

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ずいぶんとサッカーから遠ざかり、また今年は未だサッカー熱も
高まらないわたしだけに、サッカー選手の松田を失ったという
悲しみ以上に、残念な気持ちがある。
それはわずか34歳の青年が亡くなったという事だ。そして残された
ご家族の事を思うと、一層言い知れぬ無念と深い悲しみに包まれる。

闘争人―松田直樹物語 (SAN-EI MOOK)

フットボールサミット 第2回  検証・中田英寿という生き方

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