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2011-02-08

オシムの代表って、何だったんだろう?

アジアカップが終わった。
ご承知のように日本代表は見事に優勝。
これで2000年以降に行われた4大会のうち三度を制覇。
2007年の四位が最低の成績、となる。

すなわち、イビチャ・オシムが率いた時代だ。
アジアカップの成績だけを見れば最も悪い代表だった、
と言うしかない。内容重視、成長過程という言葉も、
多くの場合で”結果のみ”が重視されるスポーツなのだから、
この評価に反論はできない。


ここでは、オシムの代表というのは一体何だったのか?
を今一度考えたい。
時間の経過とともにその実態はますます無くなっていき、
冒頭に書いたようにただ(最低の結果)だけが残る。
いつもの如き”検証すること無き前進”だ。

だからここで不肖ながら、あの頃の姿を少しでも書き残し、
かつ検証したいと思う。

==========================

切り口にしたのだから、まずは2007年アジアカップから
取り上げたい。

ベスト4にまで進んだ訳だが、決勝トーナメント一回戦
のオーストラリア戦はPKによる勝利。
あの時は(ワールドカップの雪辱を果たした!)と盛ん
に持ち上げられていたが、記録上は引き分け。勝ち切れ
なかった。
三位決定戦の韓国戦を含め内容では上回った、ボールは
キープしていたとされるが、日本に必要だったのは毎回
言われるその類の事ではなく、(点を取る事)だったのだから、
この時点で決してチームは上手く回っていた訳ではない。

加えてこの頃は(ジェフ勢を優遇する)という声も多く
聞かれていた。
選手個々の能力ではそう特別な選手たちでは無い、と考えられ
ていたのに加え、ジェフというチーム自体も失速していたから、
この選手選考については度々批判の的となった。
これに関するエクスキューズ的な意見が、(オシムの練習
を浸透させるために、まずはジェフの選手たちを多く入れた)
というものだった。

けれども、代表監督を退いた後のオシムの話を聞くと、それは
怪しい。
あくまでも前線には高さがあって頑張れる選手(=巻誠一郎)
を考えていたようだし、羽生の評価も高いままだった。
ジェフでも大車輪の活躍を見せていたこの二人はまだしも、
山岸智をサイドで中村俊輔と絡める選手、と考えていたよう
だから、やはりジェフ勢を代表でも本物の戦力、と考えていた
節はある。

ここで思うのは、”オシムは自分のコントロールしやすい選手しか
使おうとしなかったのか?”
という事だ。

これに関しては、旧ユーゴスラビア代表でのエピソードを
考えてみれば、少しは見えてくるかもしれない。

天才の誉れ高かったサビチェビッチはメンバーにこそ入っていた
ものの、スタメンでは無かった。あまり大きく報道される事は
なかったが本人もこの事については、多くの不満があったようだ。
他にも代表から外れたスター選手(詳細は失念。スイマセン)
もいたと思う。

こう考えるとオシムが最終的な代表(つまりワールドカップに
臨むためのチーム)を形づくった時も、タレントに優れるが
個性が強い選手が入っていたかどうかは、わからない。
例えば、本田圭佑。
その才能が開花し相応の実績も積んだ今、もしオシムが代表を
率いていたら、彼をどう扱っていたか。
とても興味深いのだけど。

(一回でビシッ、とまとめようと思ったら、全然まとまりませんでした。
Jリーグもオフシーズンなので、このテーマでしばらく続けさせて
頂きます)

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comment

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検証?

これ検証ですか?

どれだけリサーチされたか存じませんが、あのオシムをこれだけで片付けてしまうのですか?

続編を期待しています。

コメントありがとうございます

Ivicaさん、早々のコメントありがとうございます。

(今さら・・・)
とか
(結局はそんな成績しか残せなかった)
というコメントが来るかな?
と恐恐としていたので、有難いです。

> これ検証ですか?
> どれだけリサーチされたか存じませんが、あのオシムをこれだけで片付けてしまうのですか?

きちんとリサーチしての検証、という訳ではないですが、
あの頃に目の前で起こっていた事と自分が考えていた事。
その後に語られた事から、自分なりにまとめておきたいと
考えました。

本文末に書いたように、もちろんこれだけで終わりませんよ。
(本当は一回でまとめるつもりだったんですが)全然、
甘かったです。

今さら

「自分なりにまとめておきたい」

大切だと思います。

オシム前後での焦燥感が大きかっただけに、今でも「オシムが南アを率いてたら…」と考えてしまいます。(決して信者ではありません)

重ねて、ありがとうございます

Ivicaさん、続けてありがとうございます。

> オシム前後での焦燥感が大きかっただけに、今でも「オシムが南アを率いてたら…」と考えてしまいます。

本当はココなんですがね。
けどこれは絶対に”if”の話なんで、確かにあった時代の検証を、ということで。

> 「自分なりにまとめておきたい」

事実の考証より、主観を多分に含んだものになると思います。
あくまでも個人的な考えのまとめですし、
頻繁には更新できないと思いますが、
よろしければまた覗いてやってください。

オシムについて

はじめまして。「あいにくの雨」と申します。
オシムサッカーを考察している方が貴重なので、この際にぜひ検証いただきたいのが、「オシムサッカーはやっぱり3バック」。

世間で認識されていたオシムジャパンの4バックは、「駒野、闘莉王、中澤、加地」だと思います。(闘莉王が怪我なら阿部、中澤のところに坪井など)

注目点は、駒野のところに阿部や今野が先発または途中出場で入っていたこと。
加えて、中盤左には「三都主・山岸」などが入っていたこと。

世間的には、「阿部や今野がSBに入った4バック」と思われていたと思いますが、これは左右非対称ではあるが3バックであったのだろうということ。
駒野も当時、ペトロビッチ体制?か小野体制?で3バックのDFをしていたので、彼もオシムジャパンでは3バックのDF、たまにウイングバックという使われ方だったのだろうと思われます。

センター軸が左に寄っている3バック。
右のウイングバックは後方スタート、後方待機が多め。
左のウイングバックは、攻撃的、前目。
守備時、全体が右に寄れば、純粋な5バック的に下がる。

実は起用こそ少なかったものの、左なら「相馬・家長・本田圭」。右なら「水野・太田吉」など。3バックまたは非対称3バック用の人員を揃えていた感があります。

こういうことから、基本の考えの構成は、後ろが「3-3」の6枚。
アジアカップでの、「遠藤・俊輔・憲剛」の同時起用はFWを1枚減らす以外に方法がない。
南アフリカ前に語っている「2トップの下に彼ら3枚。その下に長谷部を置いた布陣」
発言の真意は分かりませんが、彼のサッカーは、ジェフ千葉・闘莉王が怪我以外のオシムジャパンを見てもらえば、後ろは守備的が4枚とサイド2人で間違いないと思われます。

もし、あれだったら見てもらえるといいのですが、youtubeにオーストリアのクラブ監督時代のインテル戦フル動画があがってます。「Graz champions league」と検索すると見つかると思います。
(あんまり広まると、削除される確立が高くなりそうなんですが)


もし、オシム関連のことを今後も検証するような方でしたら、ぜひネットでという形ではございますが交流させてほしいと思っております。メールなりいただければ幸いです。


現在の日本代表のほうが、ボールと人が早く動くこと、奪った&奪われた後のアクションが早いと思っています。
ただ、もちろん今回もGLでロスタイムの同点ゴールや、決勝トーナメントではPKや延長戦など苦戦は多かったわけで、PKに関しては決して監督のプラン通りの勝利の筋書きではないですから、オシム体制の代表が散々だったという比較をしている方は、少し違うと思います。

No title

間違えました。
オシムさんがオーストリアのクラブ監督時代の動画は、「Graz Inter」と検索するとフル動画見つかります。

また、もし宜しければ知人に「オシムサッカー」に興味を持っている方などいれば、ご紹介いただきたいです。

だいぶ、オシム信者っぽいですが、「オシム」にばっかり焦点を当ててるのは、自分のサッカー観にとっても視野の広いものとならないので、オシムに偏りつつもほかのサッカー観も勉強しているつもりです。
オシムにも疑問を持つところがないと、おかしいし進歩はないですからね。

コメントありがとうございます

あいにくの雨さん、コメントありがとうございます。
(わざわざ訂正も入れて頂き、ありがとうございました)

>この際にぜひ検証いただきたいのが、「オシムサッカーはやっぱり3バック」。

本当、前のコメントにも書いたように考証、っていうほど大げさなものでは
ないんですよ。
それと、私はあまり戦術とかシステム論に重きを置いていないので、そう
いった方面の検証は正直苦手です(テレビ観戦ばかりなので、試合を通じて
全体の動きを見れていない、というのもあります)。

その意味ではこういった視点で抜けている部分に関する意見を寄せて頂けたのは、
大変ありがたいです。


詳しい中身については次回以降のエントリーと重なる部分もありますので、
後々本文で書いていこうと思います。

せっかく熱のあるコメントを多く頂けたので少しだけ関係した事を書くと、
最後の方に(その下に長谷部を置いた布陣)とありました。
この話にあるようにオシムは南アフリカ前後に、若干みずからが指揮を
とっていた頃とは違う選手名も口にしていたようですが、この時期は
下がり目で鈴木啓太がかなり重用されていました。

鈴木啓太と長谷部。その資質はまるで違うと思います。
加えるならばディフエンスラインには最終的に闘莉王が入ったか
阿部勇樹だったか?
これもタイプが違います。

言いたいのは”理想のサッカーはある程度あったけれど、それは選手の
資質によっていくらも変わるもの”だったのではないか? という事です。
使えるのは良くも悪くもあの時期にいた日本人プレーヤー、ですからね。
(中田英寿が必要)(ロッペンが必要)は不可能な話です。

ジェフと同じスタイルを代表でもさせるつもりだった、という声も当時は
多くありましたが、まったく賛同できませんでした。ジェフで起用していた
のとまるで資質が異なる選手たちも多くいましたし、要求も違うように
思えました。
これはこのエントリーの流れで書いていきたい事の一つです。

選手の配置については詳しくはわかりませんが、戦況やその時の手持ち
の選手によってかなり流動的になっただろうな、という気がします。


色々書いていたらなんだか、あの頃のジェフや代表の試合が見たくなって
たまらなくなりました。
これからもっと凄いものが見られるのだから、と思って録画とかほとんど
してないんですよね。悲しいことに(Jリーグは試合数が多過ぎて録画して
いませんし)。

またよろしければ、ご意見ください。
こちらの方こそ、どうぞよろしくお願いいたします。

長文で失礼しました

長谷部と鈴木に関しては、オシムJAPAN1番最初のトバゴ戦。このときのディフェンシブな中盤の招集が、長谷部と今野でした。

今野の怪我で不参加の影響もあってか、鈴木は1日遅れの追加招集だったのです。

つまり、1番最初の考えでは、長谷部と今野のダブルボランチの構想だったと思われます。(あとは、クラブ事情で参加できなかった阿部)

このことについて、通訳の方が出した本にて、当時浦和のブッフバルト監督に「浦和のメンバーを呼ぶなら、鈴木も連れて行け」そのようなニュアンスで勧められた旨を語っています。

最後に、千葉の映像については、ナビスコのハイライトという形ではありますが、「J's Goal ナビスコ プレイバック 動画」と検索すると、過去の準々決勝以降の動画が見れます。

わたしも、「オシム、オシム」と偏った見方をしていると、自分のサッカー観もつまらないものになってしまうので、いろんなサッカーから勉強したいと思っています。

コメントありがとうございます

あいにくの雨さん、再度コメントありがとうございます。

今野のポテンシャルはアテネオリンピックで鈴木啓太を
押し退けて代表に入った事でも、高いものがありますね。
(その選手が”ボランチはしばらくやっっていないから、
自信がない”と言ったのは皮肉なものですが)

>通訳の方が出した本にて

たぶん、千田さんの本ですよね?
これは読んでいないのですが、機会があれば
購入したいと思います。

> わたしも、「オシム、オシム」と偏った見方をしていると、自分のサッカー観もつまらないものになってしまうので、いろんなサッカーから勉強したいと思っています。

ジェフがミラー体制になった時は、それまでの内容
と見事な対比ができました。
あれもサッカー。
けれどメディアの報道は(たぶん)試合自体は何も見ていない
ので、「連勝凄い」「残留奇跡」で、ハイお終い。
それで、何も残りませんね。

また、意見交換しましょう。
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